9回目ですが久しぶりのスリランカ旅行。
(2008・9・6 〜 9・18)

以前スリランカ旅行を計画していましたが
スリランカを襲った大津波の後だったため、断念したのでした。
今回の旅は山岳リゾートと海洋リゾートのホテルと、
スリランカの豊かな香辛料を使ったカリーを楽しみたいと思っています。 

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・9月 6日(土)晴れ

 朝5時の起きる、
 昨夜遅くにパッキングしたトランクとパソコンとカメラを収めたリックを持って
 姪浜駅からam5:51福岡空港行きの地下鉄に乗る。
 飛行場で同行するHさんと落ち合いam7:10発の成田行きに乗る、



 スリランカエアライン成田発pm13:20のコロンボ行きまで時間が有るので
 うどん屋さんに入りビールとカレーうどんを平らげる、
 これから行く先はカリーの国であるのに最初からカレーうどんでした。
 機内では約8時間ほどで食事が2回出ましたが二食ともカリー+ビールで済ませました。

 

 機内は若い男女の乗客が多くその人たちはモルジブ諸島に行く人たちなのです。
 コロンボ空港に着いたのは現地時間18:30分で10年前に来た時は空港に
 下りたとたんココナッツオイルの強烈な匂いに歓迎されたのですが
 今回は空港ビルもきれいに整備されそれらのにおいも感じませんでした。



 手続きを済ませ到着ロビーに行くとヌワラエリヤのコックだったアショカが出迎えてくれました。
 久しぶりに会うアショカは少し太っていて風格を感じました。
 彼等が用意した車に乗りガンバハの彼等が運営する「ホテル月ニッポン」に行き夕食、
 スリランカのビールライオンラガー+ライオンスタウト+おつまみ+焼きめしで歓談、

 

 明日の朝食はスプリングホッパーがいいなぁ〜と言いながら2階の部屋に落ち着くのでした。

・9月 7日(日)晴れ
 朝5時前に目が覚める、
 日本との時差は3時間半で8時半頃なので当然なのだが外はまだ暗いが時々鳥の声が聞こえる、
 6時過ぎると明るくなってきた、
 少し雨が降ってる様子だがそんなにひどい雨ではない、
 昨日空港に着いた時アショカが「先週から雨が続いてるので心配」といってたのを思い出す。
 窓から見える木々に鳥やリスがいて動き回るのが見えてあぁスリランカに来てるのだと実感する。
 海外に行くとシャワーの水とお湯が日本とくらべると貧相になるのがいつも不安になるのだが
 まぁまぁと云うところで納得する。
 朝ごはんは1階の食堂でスプリングホッパーとカリーを堪能する、



 今日は午前中日曜日に立つ近くの市場に案内してもらうことになっている、
 雨も上がり日差しが強く蒸し暑い中車で市場まで連れて行ってもらうと
 カラフルなテントの下で賑やかな掛け声が響いて野菜、果物、香辛料、干物、等日用生活の
 必需品が所狭しと並べられ売られている光景は生活が豊かで品物が豊富なのを見ることが出来た。

  

  

 約一時間半ほど写真など撮りながら品物のの名称を問いながらのうれしい時間でした。
 あまりの蒸し暑さのため体中から汗が吹き出して汗を拭き取るハンカチもびしょびしょ状態、
 車に乗り込みクーラーを強くして貰いながらアショカのお姉さんの家に行く、
 お姉さんはガーディナーとしてコロンボでは有名な存在らしくエントランスがきれいに整っていた。
 そのお姉さんのお家でお昼をご馳走になる、
 まずライオンラガービール+ライオンスタウト+おつまみでくつろがしてもらい
 マンゴー、パパイヤ、バナナ、ジャックフルーツ、と果物のカリーにさっき行って来た市場で
 見た野菜類のカリーがテーブルに乗り切らない状態で出てきて歓待を受ける。

 

 それぞれの家族の紹介を受け挨拶を済ませて食後はコロンボ市内に行くことにする、
 コロンボではまず両替を済ますが100円が98ルピーとルピーの価値が上っていた。
 しかしコロンボ市内も昨夜の空港からの道路にもテロを警戒するため軍の警備は
 非常に厳しく良くストップを受けチェックを受けていた。
 両替を済ませスリランカの建築家「ジェフリーバワ」の事務所が現在ギャラリーカフェに
 なってるショップに行き見学がてらショッピングとお茶を楽しむ、

  

 小雨が降っていたが日本の家屋のスケール感に似た佇まいは素直に受け入れることが出来て
 三々五々くつろぐお客さんの様子も心地のいい暗がりの中、
 スタンドの柔らかい灯かりも空間全体にいい空気を作り出していて気持ちのいい時が溢れていました。
 帰りに「ジャフリーバワ」の本を買おうと思ったが品切れ状態だったので
 場所を変えショッピングモールの本屋さんに行くと3冊の本が手に入りうきうきした気持ちのまま
 「ホテル月ニッポン」へと向かうのでした。
 
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・9月 8日(月)晴れ、スコールに遭遇
 今朝も5時近くに目が覚める、うとうとしてると6時頃から明るくなり鳥の声が聞こえてくる、
 7時半に紅茶を飲み朝食抜きで8時にはガンバハのホテル月ニッポを出発、
 車は運転手付きのワゴン車でアショカと弟のジャナカ、Hさんと私の総勢5名での道中となりました。
 車はキャンディーロードを北上一路ポロンナルワへと向かう
 途中道路沿いのスタンドで売られてるコラ・キャンダーを飲んで朝食代わりとしました。
 コラ・キャンダーとはスープ状のお粥みたいなもので香辛料の匂いが少し強いが中々のもので、
 これに近いものをヌワラエリヤレストランで時々コックが作って食べさせられたことがあります。

 

 しかし10年前に来た時に比べ道路事情は各段に整備されていて車の中は快適でした。
 途中バティクのお店に寄って作業工程を見学させて貰いましたが納得する商品は見当たりません。
 再び車にに乗り込み一路ボロンナルワへと向かいますが途中スコールに遭遇、
 車窓からジャングルの向うにシーギリヤロックが見えるとHさんが声を上げる、
 ポロンナルワ近くのレストランに着いたのは2時を過ぎていてお腹がすいていたのでお昼を食べる、
 ライオンビール+カリーを食べるが満腹状態で5人前3000ルピー要するに3000円程度でした。

  

もちろんライオンビールは大瓶です。
 ポロンナルワ博物館を皮切りに遺跡群を散策して廻るが結構広大で遺跡に入るときは
 靴を脱ぎ裸足で参拝しなくてはならなく裸足での砂地の感触がすごく新鮮でした。



 ところで拝観料ですがポロンナルワ+明日行くシーギリヤも含め外国人は5000ルピー、
 それに引き換えスリランカ人は40ルピーと約100倍の差には唖然とせざるを得ない、
 仕方なく拝観料を払いながらHさんと二人して苦笑い、
 アショカとジャナカは国にお金がないものですからと言いつつこちらも苦笑いしてました。
 しかし遺跡群の中を歩いていても観光客らしい人たちに会うことは少なく
 物売りのスリランカ人も手持ちぶたさで我々にしつこく着いて廻るのでした。
 また広場の所ろどころにはのんびりとした顔つきの野良犬がたむろしてますがおとなしいものです。
 遺跡群の5分に1ほども見て廻ったろうか時間が来たのでポロンナルワに別れをつげて
 シーギリヤのジェフリーバワの設計したカンダマラホテルへと向かうと
 陽も落ちて夕闇が迫ってきていました。
 幹線の道路からプライベートな舗装されてない細い道を覆うジャングルの中を進んで
 ようやくついたホテルは自然の岩盤がむき出しに露出してるフロントを通り
 プールサイドへと誘導されチェックインを済ますのでした。
 案内された部屋に入るとツインベットがくっけられているのを見てHさんと
 「いくらなんでもこれはヤバイ」と言いつつベットを引き離すことが最初の仕事でした。



 トランクを開け少し部屋をチェックして良い部屋だぁ〜といいながらひとときして
 晩ご飯を食べにレストランへ向かうのでした。
 バイキングスタイルの夕食でももちろんスリランカ料理をたらふく楽しみました。
 食後酒としてワゴン車でウエイターが回ってきて提供してくれたシェリー酒を暖めアルコールを飛ばし
 コーヒーと生クリームをあしらった飲み物がとても美味しかった。

・9月 9日(火)晴れ
 朝目覚めたカンダマラホテルのテラスは蔦類の植物に覆われた窓辺を野生のサルが走り回っていて
 部屋の中まで鳥の声が響いて聞こえ遠方には湖が白く光って見えるジャングルの中のホテルでした。
 7時過ぎにレストランにて朝食を摂りに行くがお客は思ったほど多くない、
 スリランカに来て朝、昼、晩と全てスリランカ料理を食べているがまだ飽きは来ない。

 

 食後満腹な状態でホテル周辺の庭を散策、部屋に帰り荷作りを済ませ10時にはフロントに下りていくと
 アショカとジャナカが笑顔で迎えに来てくれていて車に荷物を積み込みシーギリヤへと向かって走る。
 今日は日差しも強く少し蒸し暑いのでシーギリヤロックに登るのは大変かなぁ〜と思うが
 ジャングルを睥睨するように現れた楕円形の岩山を見ると俄然意欲が湧いてくるのでした。

 

 鉄骨で岩山にへばり付くように作られた階段を登っていくと螺旋階段に出会いその階段を
 少し恐怖を感じながら登ると幅20メートルほどのくぼみに出ると 
 そこの天井に色彩鮮やかな女性象の壁画が描かれているのに出会うことが出来るのです、

 

 1400年の年月を経てもなお鮮やかな色彩が残っているのはスリランカの気候が
 壁画の保存によっぽど合っているのだろうとしみじみ思うのでした。
 それからさらに頂上を目指すがよくこのような階段を作ったものだと感心するが
 アショカは途中で腰を抜かした状態になってガイドの補佐を受けながら登ってきた。
 頂上にはかって王宮が建てられその遺稿が残っているが11年の短い年月だったとのこと、
 頂上からの四方の風景は眼下にジャングルが広がりその上を抜けてきた風が
 岩山を強い勢いで吹き抜けていて被ってる帽子はしっかり押さえてないと飛ばされそうでした。
 帰りの階段も難儀なことで休憩を取りながら下りることができ皆ほっとしていました。



 下に下りると物売りたちが待ちうけていてわずらわしいことわずらわしいこと・・・!
 彼等を振り切って12時頃に車は一路キャンディに向けて走り出しました。
 途中の町々を通過して走り続け午後2時半くらいに車と歩行者で混雑してる
 キャンディの繁華街に車は入っていきました。
 とにかくお腹がすいたのでお昼を食べることにしてレストランを探すが駐車場が空いてなく
 一時市中を走り回りようやく簡素なレストランに落ち着きました。



 いつものようにビールとカリーを注文するがどうもスリランカでは2時から5時までは
 酒類の提供は禁止されているとのことでジンジャービャーで済ますことにしました。
 このジンジャービヤーは少し甘く異国の味がしていました。
 食事を済ませて仏歯寺に行くことにしましたがここでも以前自爆テロが発生して相当厳重な
 チェックが軍によって行われてました。
 以前来た時は前面の芝生の広場は開放され気持ちのいいくつろぎの場所でしたが今は鉄柵で
 道路とも隔離された状態で横の湖の佇まいも感じられない閉鎖的な状態になっていました。
 寺の内部へは裸足で無帽の状態で入る、中に入ると今までスリランカでは味わった事のない
 丁寧に作られた造作の空間が待っていて静かに並ぶ柱列とそれを受ける梁の醸し出す様子は
 バランスのいいほどよい緊張感をたたえていて敬虔な気持ちにつつまれ自然に手を合わせているのでした。
 寺内を少し歩き回り脇の庭に出ると瞑想の空間へと導かれそこでの建物の屋根を支えるため
 設けられた柱列のバランスにも感じるものがありました。

 

 仏歯寺を出てジャナカの友達で銀細工の職人さんの家を訪ねましょうと車で走ってると
 スリランカで奇祭として以前書物で呼んだことがあるお祭りの行列に遭遇しました。
 若者の背中とふくらはぎに釣り針状の金物で皮膚を刺してロープで吊り竹ざお状の
 先端にくくりつけ練り歩き周りには大勢の囃し立てる人々もいて一緒に歩いていました。
 吊るされてる若者は数名いる様子でインドのヒンデゥー教とのことだった。
 混雑を抜け出しジャナカの友達の家に行くと古い国宝級の仏像らがあるとのことでした。
 ここでも簡単な食事の用意がしてあったのですがお昼を済ました後で
 ほとんどのどを通りませんでした。しかし黒砂糖は美味しかった。
 夕闇がせまり始めていましたのでお暇して今夜の宿ホテル ツリー オブ ライフへと向かいました。
 ホテルの部屋に落ち着き食事のためレストランに行くとホテルの総支配人であるシェリーさんに
 歓待されました。彼は私が20年前福岡でスリランカレストランを開業するきっかけを
 作ってくれた人で因縁の間柄なのです。



 今日もわざわざコロンボの自宅からキャンディのこのホテルまで逢いに来てくれていたのでした。
 レストランではシェリーさん+Hさん+私の三人でプールサイドのテーブルに陣取り
 まずビールで乾杯して宴が始まり豊富なおつまみにスリランカのお酒アラックのラムをご馳走になり
 カリーの食事まで楽しませていただきながら懐かしい話がいつまでも続くのでした。

・9月10日(水)晴れ時々スコール

 ホテル ツリー オブ ライフも山岳リゾートホテルです。
 テラスからの眺めは建物類は殆ど目に入らず見渡す限りジャングルである。
 鳥の鳴く声となにかが屋根の上を走る音がときどき聞こえてくる、
 朝目覚めるとルームサービスで紅茶を注文してテラスでくつろぎ目を覚ます。
 朝のこの一杯の紅茶はしみじみと身体に沁みこんでいくような心地よさに浸れて気に入っている。
 山の向うからスコールがこちらに向けてやってくる、

 

 その雨足を紅茶を楽しみながら眺めているのはえもいえぬ至福のひとときなのでした。
 朝ご飯のためレストランに歩いていくと昨夜シェリーさんと過ごしたプールサイドも
 静かな佇まいを保っていました。
 お客は私達を含め3組、今朝ももちろんカリーを食べました。

  

 隣の席では若いスリランカ人のカップルが中むつまじく食事を摂っていました。
 食事後部屋に帰りHさんは仕事のレポートをまとめるとPCに向かっている、
 私はベットでなんとなく本を読んで過ごす、
 11時からアーユルヴェーダを予約してありそれまでの時間を待っているのでした。
 11時にハーバルヘルスセンターで医師の簡単な問診を受けコースを決めてる様子でした。
 まず血圧の測定をされ脈を量り一応の診断が終わると別棟の部屋に連れて行かれ
 ロッカー室に通されてそこで衣類を脱ぎ体制を整えさせられます。



 バスタオルをまといハーブ類が天井から吊るされた部屋にはべット、蒸し風呂、浴槽が設えてあり
 まずはそのベットに寝せられ程なく頭からオイルを垂らされマッサージが始まりました。
 体中がオイルまみれにされ全身のマッサージは1時間ほどかかりその後ハーブが炊き込まれた
 蒸し風呂で汗を流すのでした。
 身体が温まり程好い汗が吹き出すとハーブが混入された温めのお湯が張られた浴槽に入り
 横たわった身体にハーブの葉っぱがまとわりつくのでお湯をほのかにかき回し気持ちを癒すのです。
 それが10分ほどで終わると地下のシャワー室で身体に残っているオイルを洗い流し
 バスタオルで身体をまとい1階のロッカー室に帰っていくのでした。
 洋服を着替えるとハーブティーが出てきてひとときを癒すようになっています。
 この間約2時間ほどの時間が経過してました。
 その後瞑想の時間が有るとのことでしたがCDが壊れていたので少し胡散臭さも感じていたので
 瞑想の時間はキャンセルすることにして部屋にかえりました。
 このところ三食食べ続けていて胃が重たく今日はお昼をぬいて夜の食事に備えようと
 部屋にあるバナナを食べながらまた本を読むのでした。
 夜の食事は福岡のヌワラエリヤレストランの常連客であるスリランカ人のSさんが
 たまたまキャンディの自宅に帰省されていて食事に招待されていたのです。
 夕方5時にホテルに迎えの車が来たので好意に甘えてお伺いしました。
 広い家に案内され家族を紹介され美味しい食事をご馳走になりました。
 食事が終わるとお土産までいただき再度車でホテルまで送り届けて貰いました。

 ・9月11日(木)晴れのち小雨
 朝目覚めると早速ルームサービスで紅茶を取り寄せテラスでジャングルの緑を眺めながらのひと時、
 7時半頃に歩いてレストランまで行き朝食にスプリングホッパー、ホッパーにカリーを数種類注文、
 すると昨日の若いスリランカ人カップルの男性が私達のテーブルに来て日本語で話しかけてきた。
 話によると日本の福島大学に留学していて今新婚旅行中とのことだった。
 二人は再び福島大学に留学のため日本に行くのだと話してくれ新婦ははにかんだ笑顔を見せていた。
 好感の持てる二人だったので写真を撮らしてもらう。

 

 朝食を済まして部屋に帰り荷作りを済ませアショカとジャナカを待つ、
 二人はキャンディで私達をホテルに届けた後ジャナカの奥さんの実家まで引き返して
 二晩そこで過ごし今朝再びキャンディまで迎えに来ることになっていた。
 キャンディを11時半に出発していよいよヌワラエリヤへと向かう、
 何回となく通っている道路は随分と整備され周辺の風景も見覚えがあり懐かしさが甦ってくるのでした。
 いよいよヌワラエリヤに近づいてくると小雨が降ってきて気温が下がってくるのが感じられ
 車窓から眺める周辺の山々は全て紅茶畑で埋め尽くされています。
 道路沿いでは新鮮な野菜が豊富に並べられ売られている中を車はスピードを上げながら
 曲がりくねった山岳道路を営々と登っていくと時折遭遇する学校帰りの子ども達の歓声が聞こえ来ます。
 雨雲が運んでくる霧を抜けて峠を越え視界が開けたところがヌワラエリヤでした。

 

 

 スリランカに来るたびに滞在してるヌワラエリヤは繁華街も小さいが結構賑わいが感じられるのでした。
 お腹もすいていたので遅いお昼を取る、今回もビール+スリランカカリーでたっぷりとたべました。
 食後は繁華街の食料マーケットを散策するが私としては何回となく訪れてるので懐かしさが増す。
 マーケットの野菜及び果物の店頭での写真を撮りまくりながら食材の名前らを
 アショカとジャナカに聞きながら私達に興味を抱く人々に軽く会釈しながら歩き回りました。
 外は相変わらず小雨が降ってます。

 

 

 気温は18度くらいになっていて肌寒さを感じてきていました。
 一通り散策を終えると車で5分ほどのところに位置するグランドホテルへと向かいました。

  
 100年以上は経過してる木造のホテルは部屋の床は歩くと所どころ床なりがして古さを感じ
 壁面にはいまは使われなくなった暖炉の後がありその前に電熱ヒーターが置かれていました。

 

 7時半頃にレストランに行きバイキングスタイルの夕食でここでも迷わずスリランカ料理と
 今夜はシャンパンを取り寄せ乾杯をして楽しみました。
 レストランはヨーロッパの年配のツアー客が少しいるくらいで比較的お客は少なくゆっくりしてます。
 レストランではギターと電子ピアノの二人組みの生演奏が懐かしいアメリカンソングを演奏していて
 時々ツアー客がリクエストをしてました。

  

 食後バーに行き食後酒を暖炉のそばで楽しんでるとイスラエルから1ヶ月の新婚旅行に来てると
 言うカップルと暖炉の前でしばらく談笑、しかし1ヶ月の休暇とは・・・!
 バーを出てホテル内のショップで上着様の半コート1500円を値切って1300円でHさんと
 1枚ずつ買いましたがあまりに安くスリランカの物価の水準に少し疑問を抱くのでした。

・9月12日(金)晴れ
 朝は相変わらず目覚めが早く6時前には目が覚めているので外が少しずつ明るくなるのが
 うとうととしたまま時々目を開けて確認してる。
 部屋は電熱ストーブで少し暑いくらいであるが外はやはり少し冷えてるようである。
 7時半頃レストランに下りて行きバイキング方式の朝食を摂る、
 まず紅茶をウエイターに勧められ紅茶を楽しんだあと好みのものを摂りに行く、
 まずコラ・キャンダーを飲む、これはお米の入ったスープでスリランカでは朝食に
 よく食べられているとアショカ達が行っていたが朝はどのホテルでも必ず出てきてました。
 その後はHさんと二人していつものようにスリランカカリーの満艦飾・・・!
 食事を済ませ部屋に戻りアショカとジャナカが11時にホテルに迎えに来るまで
 HさんはPCでレポートをまとめていて私はベットに寝転び本を読んで時間をつぶす、
 11時頃玄関に昨日買ったコートを着込んで下りていくと二人はもう来ていた。
 今日はヌワラエリヤの郊外に位置するかって紅茶工場だったところを
 ホテルとしてリフォームしたザ・ティー・ファクトリーに行きお昼を食べようと行くことになっている、
 ヌワラエリヤから小一時間、途中から紅茶畑の舗装されてないでこぼこの農道を走ると
 かって日本でもこのような道が有った事を思い出して車の揺れるのを楽しんでいると
 紅茶畑の向うにかっての工場が見えてきました。

 

 

 ホテルに着きフロントでレストランの様子を聞き少し時間が有るのでホテル内部を見学して
 回りましたがかっての工場の機械や工具らがディスプレーされていて他のホテルとの
 差別化を感じエレベーターも昔もままの蛇腹式の扉がついていてまさに工場内の
 エレベーターそのままで次回ヌワラエリヤに来たらこのホテルに泊りたいものだと
 思うほど他のホテルにはない存在を感じました。
 そして別棟にある小さな紅茶工場の見学の後レストランでお昼をとレストランに行くが
 アショカ達が値段が一人3500円ほどかかるからとお昼を遠慮するというので
 私達もそんなにお腹がすいているわけでもなかったのでビールとおつまみで済ませ
 ヌワラエリヤへと帰っていくのでした。

 

 

 途中の野菜畑や紅茶畑ではカラフルな衣装をまとった人たちが懸命に作業をしています。
 街中の駐車場に着くとまずレストランでお昼ご飯を食べることにしたがここでも
 2時過ぎたらビールは出てこなくて仕方なくシンジャービヤーにしました。
 レストランで焼きそば+焼きめし+カリー+サンボール類をミックスして食べました。
 その後市街を再度散策して回り植物の苗屋さんに紅茶売りの店舗が日本での質屋さんの
 ような役目を果たす店等を冷やかして歩きましたがHさんはその店で紅茶を買ってました。
 その後グランドホテルの裏手にあるイギリス風の男性専用のヒルクラブを見学に行きました。
 まさに100年はたつと言われてるクラブで談話室、ビリヤード、レストラン、バー、らと
 男性同士がくつろぐ施設がほどこされていました。
 ここでインターネットが出来るとのことでHさんと二人で再度訪れて
 Hさんはレポートをインターネットで日本に送っていましたが私は本を読みながら過ごしました。
 外が薄暗くなって来たのでホテルに帰ろうとすると雨が降り出してきて走り出そうとしたら
 三輪車のタクシーが来たのでホテルまで100ルピーで乗っけて貰いました。
 タクシーがホテルの玄関に着き私達が下りたとたんスリランカ人の乗客がつかまり
 タクシーの運転手は「ラッキー」の言葉を発して乗客を乗せ走り去っていきました。
 夕食はお昼が遅かったのでお腹もすいてないのだがといいながらレストランに下りて行き
 ビールとスリランカ料理を心おきなく食べるのでした。

・9月13日(土)晴れ
 今日はコロンボに移動するので朝めざめると荷作りを始める。
 7時半頃朝食を摂りにレストランに下りて行く、
 今朝もコラ・キャンダーをはじめしっかりとスリランカ料理を食べる。
 朝食後グランドホテルの庭を散策しながら写真を撮る、

 

 

 アショカ達が10時ころにホテルに迎えに来るので玄関に下りていくともうアショカ達が待っていた。
 今日はヌワラエリヤからコロンボまで列車で移動することになっていてヌワラエリヤには駅が無く
 近郊の駅まで車で移動するがこの道は以前来た事が有るように感じたので聞くと
 やはり以前ワールドエンドに行く時に走ったことの有る道だった。
 駅に着くとトランクを下ろすことにする、

 

 車は運転手一人でコロンボに帰り駅で列車の着くのを待ってもらいまた車に乗り込むのだが
 荷物は途中軍の検問に合うと運転手一人だからトランクを開けさせられたりすると
 めんどうなので列車に積み込むことにしたのです。
 駅は近郊の小さな町に有り12時過ぎに発車することになっているが時間がスリランカ時間で
 あいまいなので早めに行くことになって駅での時間が長かったが写真を撮りながら
 時間がつぶせて退屈はしなかった。
 スリランカでは生き物が大事にされてるのか駅のホームでも野放し状態の犬達も吠え掛かることは無く
 まったくのんびりと昼寝をむさぼっているのでした。

  

  

 列車の到着時間が近づくと乗客が増えてきてホームにも大勢の客が待つようのなり
 列車が到着すると私達のトランクを積み込むみ最後尾の展望列車に乗り込みました。
 列車内は何組かのスリランカ人家族が乗り込んでいましたが打ち解けるのに少し時間がかかりました。
 列車は見渡す限り紅茶畑の山岳地をまるでトロッコ列車のように揺れながら進み時折り
 小さな駅に停車しながら乗降客の乗り降りのわずかな時間ホームを「ワデー、ワデー、ワデー」と
 呼びかける物売りが賑やかに駆けめぐって来るのでワデーを買って食べました。
 又ワデーと一緒にレッドチリのから揚げも求めるとHさんは美味しい美味しいと食べていましたが
 私にはやはり少し辛くて食べ終えることは出来ませんでした。

 

 



 また先日噛みタバコの話をHさんと話をしてアショカ達に聞いたのを覚えていて
 噛みタバコを持ってきてたのでためしに噛んで見ましたが何か複雑な味と匂いがしました。
 車窓からはスリランカの広大な紅茶畑が延々と続き車での移動では決して目にすることの出来ない
 ヌワラエリヤ地方の山岳風景がどこまでもどこまでも眺めることが出来ました。
 列車の通過はそんなに頻繁ではないのだろうか付近の住民達は鉄路を良く歩いていました。
 このころになるとヌワラエリヤの涼しさは消えてしまいスリランカ特有の暑さが戻ってきました。
 列車はキャンディーを過ぎた頃から幹線の道路と平行して走るようになり一緒に走る車が
 多くなり駅の近くになるとまた一段と車も人も多くなってきていました。
 車窓の風景もいつの間にか山岳風景からのどかなで田園風景が目に付くようになってきてました。
 車窓からの風景が夕焼け空が見え始めると列車はスピードを上げ始めてガンバハ駅へと
 近づいていていくのでした。
 降りる駅をコロンボからひとつ手前のガンバハ駅にしたのはキャンディのツリーオブライフで
 シェリーさんと食事した時「なるべく人ごみの多い所ろはテロの危険性があるので避けたほうがいい」
 とのアドバイスがあったので列車に乗る前にアショカ達に伝え変更したのです。
 ヌワラエリヤで12時に列車に乗り込みガンバハ駅に着いたのは午後7時過ぎでした。
 列車が駅に到着すると車が待ってくれていて荷物を積み込みジャナカはホテル月ニッポンに帰って行き
 アショカと共にマウン・ラヴィニヤ・ホテルへと向かいました。
 ホテルに着きチェクインして部屋に落ち着くやいなや出かける用意をしてロビーに下りていきます。
 今夜はシェリーさんの家に夕食を招待されていてシェリーさんの家に着いたのは9時を過ぎていました。
 久しぶりに訪れたシェリーさんの家では奥さん二人のお嬢さん奥さんのお兄さんのナーレンとお母さんに
 歓迎されビールにウイスキーに美味しいおつまみに積もる思いで話にふけりました。

 

 

 お酒のあと食事に移り奥さんの心尽くしの料理を楽しませていただきました。
 シェリーさん家では3人のメイド、雑用係り、運転手と5人の使用人がいました。
 食事を終え車でマウント・ラヴィニヤ・ホテルに送り届けて貰ったのは深夜の1時でした。


・9月14日(日)晴れ
 マウント・ラヴィニヤ・ホテルではインド洋から寄せて来る波の音で目が覚める、
 テラスに出ると真下に波が打ち寄せて来るのが見え右側の海岸線を辿ると海岸線が切れるあたりに
 コロンボ市街の高層ビルがホテルの椰子の木の間を通して遠望できる。
 今まで山岳のリゾートホテルを満喫してきたが今日からはビーチリゾートホテルを泊り歩くことになる。
 今日は移動日になってるので食事前に簡単な荷作りをしてから階上のプールサイドに面した
 レストランに行きまず紅茶を楽しんでからバイキングスタイルの朝食のメニューを見て回る、
 ここでもコラ・キャンダーをいただきその後は二人してスリランカ料理を思い切り食べるのでした。

 

 インド洋を眺めながらのプールサイドの屋外レストランスペースはやはり気持ちいいものでした。
 食後ホテル内のショップを見て回るがどのホテルにも入ってる宝石店の積極な接客が気になる。
 アショカとジャナカが11時ころ迎えに来たので乗り込み一路南への海岸線をゴールへ向けて走ります。
 途中カルタラ地区の海岸線に車で入っていくので何事かと思うとアショカとジャナカが漁師たちと
 何かを交渉してるようすなのでHさんと私はトイレタイムと海岸線に行く、
 今日は満月で漁は休みで漁船も陸に引き上げられていてお酒も一切飲むことを禁じられているとのこと。

  

 アショカとジャナカは話がついたとのことで一人の漁師の後をついて行きボトルを下げて帰ってきた。
 中身は乳白色をした「ラゥ」と云う飲み物で早朝椰子の木の花から滴る液を集めたもので
 朝早くは甘すっぱくフレッシュで美味しいのだが時間がたつと自然発酵してかって開高健が
 スリランカ旅行の際発酵しすぎたものを飲んで「まるでオシッコ」と表現してたのを読んだことがあるが
 Hさんは飲むなり「まるでオシッコ」と言葉を発していた。
 私は何回となく飲んだことがあるので生暖かいのが気になったが二杯ほど飲んだ。
 こかしこれでもアルコール濃度は4,5度は有るので身体がほてて来るのでした。
 途中で荒塩と子玉ねぎとモリジブフイッシュをかじりながら「ラゥ」を飲むと美味しいとのでと
 それらを肴にして車の中で飲み続けるのでした。
 そうこうしてる内にベントタ付近に車は入っていました。
 ベントタを過ぎたあたりから幹線道路を山手に入って行き道路が舗装されてない私道に入り
 ジェフリーバワの邸宅ルヌガンガに到着しました。
 昨日からHさんと明日はルヌガンガに是非行こうそして中に入れなくても門周辺の雰囲気だけでも
 味わいましょうか・・・!と話してた門に到着しましたが人の気配がまったくなくあきらめかけてると
 隣の敷地から叔母さんが出てきて門に下がってる鐘を鳴らすと案内の人が出て来るとのこと、
 ジャナカが勢い良く鐘を鳴らす、繰り返し三度ほど鳴らすと青年が出てきて中に入れるとのこと、
 よかったぁ〜と言いながら入ると一人拝観料が3500ルピーとのことだった。

  

 あまりの高さにジャナカが自分はいいからと言い出すが見学したほうがいいからと誘い
 アショカとジャナカの分も払って一緒に邸内入っていきました
 その広大な敷地に入っていくとバワの仕事部屋からゲストルームらが点在して配置され
 朝食のスペース、ランチのスペースが違う場所に設えてありそばには鐘が吊るしてあり
 その鐘の音は場所ごとに音色が違っていて鐘の音を聞いたメイドたちがどこの場所で鳴らされてるか
 判断が付くようになっているとのことだった。
 また各部屋に彼が集めたアンティークやアートの作品が程好い密度で展示されていて
 建物を取り巻く庭の施つらいにも彼の息吹が感じられました。

  



 気持ちのいい邸内を歩き回っていると熱さとさっき車の中で飲んだ「ラゥ」のアルコールが
 回ってきて拭いても拭いても汗が噴出してくるのでした。
 満足な気分で車に乗り込み冷房を効かせてもらい車はゴール方面に向かうのですが
 海岸地帯を走る車の窓から眺められる風景は5年前にインド洋で起きた津波で壊滅状態になつた
 村々地域でまだその爪あとは生々しく残っています。
 途中の海岸線に寄り添うように設えられたレストランに寄ってお昼ごはんにしました。
 ここでもライオンラガービール+ライオンスタウト+焼きそば+焼きめし+各種のカリーを
 海岸の砂浜に打ち寄せる潮風を浴びながらの気持ちのいいランチタイムで満腹状態、
 しかしレストランの横に沿って建てられていたホテルは津波の被害にあって廃墟の状態でした。
 レストランを出ると車に乗り込みゴール近くのジェフリーバワの設計したライトハウスホテルに向かう、
 陽のの落ちる前にホテルに到着するとチェックインして部屋に落ち着いた後ホテル内を散策しました。

  

 

 部屋のテラスに出ると目の前はインド洋が広がり波が大きな音を発てて打ち寄せています。
 Mさんが1階のPCルームでレポートの仕事をしてる間に部屋のテラスからインド洋に沈む
 夕日を眺めながらあぁ〜あと三日でこの旅行は終わるのだなぁ〜と
 ふと心残りな思いがこみあげて来るのでした。
 夕食はレストランにてコース料理になっていて久しぶりにスリランカ料理以外の料理を口にしました。
 しかし今日は満月でホテルのレストランでもアルコール類はまったく提供されませんでした。
 食後階上のバーに行くとお酒はOKとのことでHさんと二人でニッコリほほえみながら
 好みのカクテルを注文するのでした。
 
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・9月15日(月)晴れ
 ライトハウスホテルの部屋でもテラスの真下はインド洋に面してて波が絶え間なく打ち寄せていて
 その波の音が朝まどろんでいる身体に響きながら感じられる。
 海岸線は岩山になっていてダイニングルームからはインド洋の水平線が広がって見える。
 遠くの波の形が不整形でリズムもおかしいとHさんが言うので双眼鏡で覗くと
 どうも鯨の群れがいる様子が伺えたが姿を確認するにはいたらなかった。
 そのような光景をながめながらの朝食はバイキング方式でスリランカ料理を満喫、
 コラ・キャンダーにジュースも交えての二度三度と料理を取りに通うの出した。

 

 

 食後出かけるまでの時間PCルームに行って時間を調整したり
 ホテル内のショップを訪れ小物類を物色して数点小物を買い求めたりして
 ホテルのロビーに向かうと玄関で結婚式の喜びのキャンディダンスと家族のグループに遭遇する。
 めでたいお祝いの様子を見るのはやはりうれしく独りでに笑みがこぼれて来る。
 11時ころアショカとジャナカが車で迎えに来てくれて乗り込みゴールへと向かいます。
 車の中は運転手がスリランカのミュージックのCDを初日からかけっぱなしで
 スリランカミュージックのリズムが身体に染み付いてしまったかのような状態になっているのでした。
 今日もそのリズムを聞きながらゴールに向かうも30分もかからずゴールの旧市街地の
 城壁と石造りの時計塔が目に入ってくる。

  
 

 1600年ころからポルトガル、オランダ、イギリスの植民地時代を経てここの岬を
 砦化して旧市街地を築いていったのでしょうか建物も今まで訪れた地域と違って
 堅牢な城壁に囲まれた城塞都市として経てきた時間が異国のにおいを感じさせてくれています。
 海岸線に沿った海沿いを歩いてると難破した船を岸辺まだ運んできて解体して
 それらの鉄板類を売りさばきながら商売をしてるところに出くわすが何かほのぼのとしたものを感じた。
 ここでも物売りたちがいっぱいいて群がってきてしつこいのに閉口する。
 岬の先端まで行くと一軒の古道具店が目に入って何とはなしに入っていくと
 店員達の目が一瞬鋭く輝きだすのを感じ品物を手に取ると色々とまくし立てて話しかけてくる。

 

 興味を引かれる物が多数あるがやはり値段が高いのでプライスダウンを言うと応じて来る、
 古いオランダ時代の壺、中国の大鉢、ベル、錠をあの手この手の値段交渉で買ってしまった。
 その間隣の店ではHさんが宝石をあれこれと見せられ買わされようとしてたが慎重な彼は
 様々な手立てで攻めてくる売り手たちを捌きながら結局宝石は買わずじまいだった。
 さぁ〜お腹が空いたぞと近くのレストランに入りビール+焼きそば+焼きめし+数種類のカリーを
 注文してそれぞけに好みで取り分けながらお昼を楽しみました。
 食後は城壁の上に登り時計塔の近くまで散歩して回りましたがここでも物売りがしつこい、
 そのようなところでもゲームに嵩じる大人たち、ベンチで寄り添う恋人達、
 家族で遊びに来ててカメラを向けるとポーズをとる者たちと様々な人に出会う、

 



 城壁を下りて再度旧市街の中に行ってお店を冷やかして歩いたがある店で古い一本の
 フォークを見つけあぁ〜良いかたちをしてると思い値段を聞くと15000ルピーとのこと
 値切るが8500ルピーまでとのことであきらめました。
 その後車に乗ってライトハウスホテルへと向かうのでした。
 ホテルに着くと部屋に帰りプールに行こうと着替えてプールサイドに下りていき
 しばらくプールで泳でいると四、五人の人が集まって来てプールサイドてくつろいでいます。

 

 しばらくしてデッキチェヤーでくつろぎながらインド洋に沈んでいく夕日を眺めていました。
 日が沈むと部屋に帰り着替えてレストランに下りていくのでした。

・9月16日(火)晴れ
 ライトハウスホテルでの目覚めは爽やかである。
 テラスに出てインド洋を眺め深呼吸の後洗面を済ませ朝食のためレストランに下りて行く、
 今朝もコラ・キャンダーとジュースに始まりスリランカ料理を満喫する。

 

 今日はマウントラヴェニヤホテルに向かうので荷作りをやらなくてはならず
 トランクにつめるが買った古道具や本などがかさばってきてトートバックを買わなくては
 いけない羽目に陥ってしまいました。
 10時ころアショカとジャナカが待ってる玄関に降りて行き荷物を積み込むと
 もう一度ゴールに行きたいと伝え車はゴールの旧市街地のショップへと向かいます。
 何しろ増えた荷物を入れる大き目のトートバックを買うのが目的なのだが
 目指したショップで綿織りの男性が着るサロンを数点買ってしまう、
 その上本まで買う、トートバックは色鮮やかな物が見つかり満足な気持ちになる。
 店を出ると昨日気に入って値段交渉したシルバーのフォークがどうしても気になって
 再度店に行って値段交渉を始めるが中々下がらなかったが最後は5500ルピーで成立、
 なぜこのフォークが気になったのか上手く説明が付かないがかたちから感じるセクシーさなのかなぁ〜。
 なんとなく満足な気持ちになってゴールの旧市街地をあとにコロンボへと向かう、
 インド洋に沿って北上してる道路脇では捕れたての魚の売店、パパイヤの売店、
 キングココナッツジュースの売店があり適当なところで車を止めて見学したり買ったりして進むのでした。


 

  

 海岸線では行く時同様インド洋津波の被害後が延々と続いてる地域がありました。
 コロンボに近くなってくると人と車が込みだしてきて中々コロンボに近ずかない中ようやく市街に入る、
 コロンボ市街ではHさんの希望で家電店に行ってみたいとのことで二店ほどリサーチを行う、
 コロンボでもやはりTVが幅を利かして展示されていた。
 喧騒の街中を歩いて移動してると物乞いが離れず付いてくるのには閉口した。
 リサーチを済ましてから今度はクリケットボールの専門店に連れて行ってもらい
 時々TVの映像で見かけたクリケットの帽子を買いに行くがお店は小さく商品も少なかったが
 その中からめぼしいのを見つけて買いました。
 買い物が終わるとマウントラベニヤホテルへと向かい再度チェックインを済ませ部屋に落ち付きました。
 部屋はこの前と同じ部屋でした。

  

 今夜は8時半にシェリーさんの家に行き奥さんのお兄さん家に夕食を招待されていていくことになってる、
 時間が有ったのでプールサイドに行きビールを飲みながらインド洋に落ちる夕日を眺めました。
 8時過ぎにロビーに行くとアショカとジャナカがもう来てたので車に乗り込みシェリーさんの家に向かう、
 家に着くとアショカ達は帰っていきました。
 私とHさんは奥さんと車でナーレンの家へと向かいます。もちろん車は運転手付です。
 今日はシェリーさんはキャンディに出張とのこと、
 ナーレンはスリランカではエリートサラリーマンで他のスリランカ人とは行動能力が違っている、
 以前来日した時に福岡に四泊して私達家族で歓待したのでそのお礼に今夜の夕食の招待で
 以前から聞かされていた新築した自慢の邸宅に行くことになったのです。
 邸宅に到着すると飼い犬がいて早速吼えてました。
 門を入り玄関前に設けられた池の脇を通り玄関に入ると吹き抜けにステップ方式の階に
 台所、食堂、リビング、一番上はビデオルームとお母さんとナーレンの部屋でそれぞれの部屋には
 バスルームと洗面、トイレが付いていました。

  

  

 一時お酒とおつまみを楽しみながらスリランカのバンドのDVDを見せられましたが
 これが思っていたより面白く気に入りました。
 お酒を楽しんだ後は夕食ですがナーレン家に60年以上いるメイドさんの手料理を堪能、
 お腹一杯になりお礼の挨拶を済ませホテルまで送って貰ったときは午前一時を過ぎていました。

 9月17日(水)晴れ

 昨夜も眠りに付いたのは遅かったが朝は普通に目覚める。
 いよいよ今夜コロンボを発つことになっているので朝から荷作りをどうしようかと考えている。
 本は香辛料を取り寄せる時一緒に送って貰うようにしようと思い別の袋に入れてしまう、
 その上福岡から連絡が入ってカリークリームと木彫りの象を手荷物でもって帰ってとの伝言が入る、
 完全ではないが荷つくりのめどをつけて朝食のためプールサイドのレストランに上っていく。
 朝食を済まして部屋に戻って荷作りを再開し始めどうにかまとまったところでロビーに下りていく、
 12時までにチェックアウトしてアショカとジャナカと運転手の三人をマウントラヴェニヤホテルの
 レストランでお世話になったお礼にランチをご馳走することになっている。
 マウントラヴェニヤホテルのコック長はスリランカの第一人者だと言うことを目を輝かせながら
 アショカが語り聞かせてくれもし会えるならと日本からスリランカレストランの関係者が来てるからと
 一生懸命交渉していたが後でテーブル席まで来てもらえるとのことでアショカ達は興奮してた。

 

 

 

 レストランでのランチのディスプレーが始まるとレストランに入って行くと
 サラダ類をはじめ繊細なディスプレーがほどこされてる料理を眺めてしばし感心する。
 思い思いに料理を取り分け席の戻るとコック長がテーブル席までわざわざ出てこられたので
 全員立ち上がり頭を下げるとにこやかに微笑みを返されしっかりとした握手を交わす、
 コック長はその後料理について自分の信念についてアショカ達に話しをされていて
 アショカ達は一つ一つうなずきながら神妙な面持ちで話を聞き続けていた。
 食事の後プールサイドに行きそれぞれ記念写真を撮った。



 満足な気持ちでロビーに下りていって車に乗り込みマウントラヴェニヤホテルをあとにする。
 途中ホテルの近くで宝石店を営む友達を訪ね久しぶりの再開を確かめその後宝石を見せて貰う、
 Hさんはゴールの宝石店で散々応対されて宝石の値段が判っている様子で見せられる宝石と
 値段を聞いてから「安い、安い、」とうなずいていて何個か買っている、
 私は今回は宝石はいいやぁと思っていたが出された宝石がきれいで安かったので二個買ってしまった。
 高級な宝石も見せて貰ったがやはり輝きが違っていた。

   

  

 宝石店を後にしてコロンボ市街へと走りホテルの宿泊代の清算のため予約を代行して貰った会社の
 事務所を訪問し支払いをカードで済ますが一泊二食付きで5〜6000円と思っていたより安かった。
 支払いを済ますと今回の旅行もこれで終わるんだと実感して寂しさがつのる。
 その後はガンバハのアショカ達の家まで車は走る、
 アショカの家では家族が待っててくれてトランクをおろし再度荷つくりをやり直す、
 重さを量ると30キロあるが重量オーバーだがこれ位は多めに見てくれるだろうと荷作りを完了する。
 そのあとカンティー(アショカの奥さん)が紅茶を入れてくれ美味しくいただいてお暇する。
 車はガンバハからコロンボ空港へと向かうが空港周辺ほ点在する縫製工場で働く
 若い女性達の帰宅する時間にかち合って道路は女性達であふれている。
 飛行場についてチェックインすると二人の荷物が二個で重量が60キロになって重量オーバーで
 なんと18000円も払う羽目になってしまった。
 出国審査を終え免税店コーナーでもこれ以上荷物が増えるのを恐れ何も買う気力もおこらない、
 ただ時間つぶしにぷらぷらと歩きまわるだけでした。
 ようやく飛行機に乗り込みほっとする、
 飛行機はマレー(モリジブ)経由成田行き10時間の長旅です。


・9月18日(木)晴れ
 お昼ころに成田に到着、入国審査を経てロビーに出て食堂に入りビールとラーメン、
 これからリムジンにて羽田空港に移動、Hさんは羽田から大阪に出張とのこと、
 第一線で仕事をしてるビジネスマンの行動振りを真の当たりに見せ付けられる。
 羽田発15時30分の福岡行き、福岡空港には管理人犬が出迎えに来てくれてた。
 そのままヌワラエリヤレストランに行く、
 今日はスリランカの家庭料理を楽しむ会が開催されていて挨拶と報告、参加者10名。
 ハートランドビールが身体に沁みる。

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